虹のはしっこ

重度知的障がいのきょうだい児です。また、現在は二児の母でもある人間のブログです

妹が嫌いになり始めたころ

 

妹が保育園児だった頃は、妹が嫌いということはありませんでした。

 

わたしの場合、幼いがゆえに自分でも寂しいという気持ちを理解できず、それがおねしょや指しゃぶりとなって表れていました。

 

大人になってから母に聞いたところ、当時の母はわたしのそうした行動が寂しさゆえだと気づいていたと。

そういえば、おねしょをしても怒られた記憶はありません。

おねしょ布団を洗う母が疲れた顔をしていたのは覚えていますが(苦笑)

 

 

妹が、明確に、だんだんと鬱陶しくなってきたのは、わたしが小学校の高学年になってからです。

 

自分の世界が広がり、友達と遊ぶことが増え、話すことも増え、お小遣いをもって駄菓子屋さんに行ったりもして。

 

自分のペースが確立されてきているところに、妹との登下校を強要されるのは心底嫌でした。

 

子育てをしているいまだからわかります。

小学校一年生の妹は、身体は大きくなりましたが、中身は登園拒否の満三歳児レベルでした。

 

説得がきかない満三歳児。

かといって力づくで連れていくこともできない体格。

 

嫌がるところをなだめたり、引っ張ったり。

朝からそんな攻防戦を繰り広げるのは、ほんとうに嫌になります。

 

帰りも母と妹が待っていることがありました。

妹は機嫌が良ければきちんと歩くのですが、立ち止まったりすることも多くて。

一人だとすぐに帰れるのに、いっしょだと遅くなるし、疲れる。

 

わたしは心底嫌になって、鉢合わせないように別の道から帰ったり(高学年の玄関は別だった)、友達と約束しているからと朝はやく家を出たりするようになりました。

 

自宅から小学校までの距離は短いので、親にしてみればそれくらい手伝って(泣)という気持ちもあったでしょう。

 

実際、妹の入学前は、別のきょうだいと一緒に登下校してました。

わたしが逃げたあと、妹に付き添っていたきょうだいもいます。

 

わたしはきょうだいの中では一番せっかちなので、ペースを合わせるのが苦だったのかもしれません。

 

 

ちなみにこの妹といっしょの登下校は、わたしが中学生になってからもたまにありました。

その頃は、たまにはいいよ、という感じで、帰り道もあえて妹と母が通る道を選んで下校したときもありましたね。

 

 

嫌いになり始めたきっかけのようなものは、もう一つあるのですが、それはまた次回で。

 

 

 

 

 

 

 

一番ふるい妹との記憶

一番ふるい妹との記憶は、妹が生まれた日のことです。

 

歳がいくつか離れているため、妹が生まれた日、病院に赤ちゃんを見に行った記憶があります。

 

病室のベッドに腰かけている母。

新生児ベッドの中の妹。

生まれたての、赤っぽいしわしわの赤ちゃんを見て、カワイイと思いました。

 

 

次にふるい記憶は、自宅に帰ってきた赤ちゃんにミルクを飲ませようとしていたころです。

 

母が哺乳瓶を用意して、ほかのきょうだいと奪い合いながらミルクをあげようとしていました。

 

が、きょうだいで回し飲みして、結構な量のミルクを飲んでしまったような気がします(汗)

 

母に「本当に赤ちゃんに飲ませたの?」と聞かれ、「うん」と平然と嘘をついたわたし……(滝汗)

でも、「おかわりちょうだい!」と言ったような気もします(汗)

 

母は、もう一度ミルクをつくってくれて、それを今度はちゃんと母があげたような。

妹よ、ごめん……。

 

妹に障がいがあると知ったとき、わたしは 「ミルクを取ってしまったからだ……」 と罪悪感を抱いたことを覚えています。

 

 

 

妹は持病がなかったので、ごく普通に1歳すぎまで成長しました。

でも、お座りも遅く、歩き出すのはもっと遅かったそうです。

 

そのあたりから母も違和感をおぼえて、受診。

最初は肢体不自由との診断でしたが、三歳の頃に「知的障がい」だとはっきりしたそうです。

 

妹は結局、4歳か5歳の頃には、まずまず普通に歩けていました。

常に手は繋いでいて、支えてあげないとダメでしたが。

 

母の代わりに保育園までよくお迎えに行っていました。

車の通らない裏道を使っていたからこそ、可能でしたね。

妹の障がい

わたしは、複数人きょうだいで、いくつか年齢が離れている妹が、重度知的障がいです。

 

 

 

 

 

上記のWikipediaさんから一部引用させていただきます。
 
 
ボーダー(境界域)
知能指数は70 - 85程度(精神年齢に換算すると11歳3か月以上12歳9か月未満)。知的障害者とは認定されない。
 
軽度
知能指数は50 - 69程度(7歳6か月以上11歳3か月未満)。理論上は知的障害者の8割あまりがこのカテゴリーに分類されるが、本人・周囲ともに障害の自認がないまま社会生活を営んでいるケースも多いため、認定数はこれより少なくなる。生理的要因による障害が多く、大半が若年期の健康状態は良好。
成人期に診断され、療育手帳が支給されないこともよくあるという。近年は障害者雇用促進のために、精神障害者保健福祉手帳(とくに3級程度)の所持者が増える傾向にある。[6]
 
中等度(中度)
知能指数は35 - 49程度(5歳3か月以上7歳6か月未満)。合併症が多数と見られる。
精神疾患などを伴う場合は、療育手帳の1種(重度判定)を満たすこともできる。
 
重度 
知能指数は20 - 34程度(3歳以上5歳3か月未満)。大部分に合併症が見られる。多動や嗜好の偏りなどの問題が現れやすい。
自閉症を伴う場合、噛み付きやパニック、飛び出しなど問題行為が絶え間ないケースが多い。
精神障害者保健福祉手帳の対象とはならない。
 
最重度 
知能指数は19以下程度(精神年齢3歳未満)。大部分に合併症が見られる。寝たきりの場合も多い。しかし運動機能に問題がない場合、多動などの問題行為が課題となってくる。
重度と同様、精神障害者保健福祉手帳の対象とはならない。
 
 
 
のうち、わたしの妹は重度の、年齢が低い方なのだと思います。
 
遺伝子疾患はなく、体幹が弱いため猫背ではありますが、一人で歩くことができます。
 
排泄も保育園の先生の尽力あって、おむつを外すことができました。(母の言葉です)
 
持病もなく、他害も多動もなく、多少偏食ではありますが、いたって健康です。
 
 
こう書くと 「重度知的障がいといっても、大したことないじゃないか」 と思われるかもしれません。
 
 
でもわたしは、今でこそ落ち着いてブログにこうして書くことができますが、
 
小学生の頃は 「お風呂でおぼれて死んでくれないかな」 と何度も思っていましたし、
 
逆に 「神さまが願い事をかなえてくれるなら、妹を普通にしてあげてほしい」 と何度も何度も夢想していました。
 
それだけきょうだい児としての負担はありました。
 
 
 
わたしが大学進学のために実家を出たこと、就職のため実家に戻ったこと、結婚のため再度実家を出たこと。
 
そのたびに、いろんな心境の変化がありました。
 
いまは離れて暮らしていますが、妹に対する憎しみは消えましたし、たぶんいままで一番、平穏な関係になっていると思います。
 
紆余曲折あって、母ともたくさんぶつかりましたが、逆にぶつかってきたからこそ、いまようやく平穏な心で妹を見られるのだと思います。
 
だからこそ、ブログに書いてみようと思いました。

はじめに

このブログは、重度知的障がいのきょうだい児がいる、二児の母が書いています。

 

自分の気持ちの吐き出し用でもあり、

 

同じような悩みや苦しみを持つ人たちの参考になればと思い、書き始めたものです。

 

特定の思想はありません。